Chisa's Story

私は米国で長女を出産し、その後受けた掻爬手術のため、重度のアッシャーマン症候群(子宮腔癒着症)になりました。よく中絶手術後に子供が生めない体になったといいますが、それと同じものです。私の経験から言えることは、次の三つ。

(1) アメリカでの出産は、できるだけmidwife(助産婦、助産師)は避け、医師に頼む。後悔先に立たず。

(2) 自分の体についての直感は正しい。病院が真剣になってくれなければ、不安が消えるまでプッシュする。最高のケアを求めて自分で調べ、動く。自分の身は自分で守る。

(3) (私のケースではないですが)中絶が必要になるようなことはしない。ある日突然「あなたは子供が生めません」と宣告されたときの恐怖は想像を絶します。

以下では、まずアッシャーマン症候群について簡単に説明し、それから私の体験談をご紹介します。アメリカでの出産を考えている方、同じ病気で苦しむ方の参考になれば幸いです。

アッシャーマン症候群について

原因:中絶と流産、それに産後に胎盤などが残っていた場合に行われる掻爬手術(D&C)が一番大きい原因です。(ただ、このような状況に陥った場 合、手術を避ける選択肢は現実的にはほとんどありません。なお中絶の場合、特にそれを繰り返すと発症率が急増するようです。)が、帝王切開や子宮内膜症の 手術など、子宮に対するあらゆる操作で発生の可能性がありますし、子宮結核など感染症でのケースもあります。特に産後の掻爬手術で発生率が高く、手術が産 後2-4週間の間に行われた場合は25%といわれ、授乳していると子宮の再生に必要なエストロゲンの分泌が少ないため可能性はさらに上がります。ただし日 本では、通常は産後1週間入院しているため、異常があればその間に早期発見される可能性が高く、処置が早いので、このケースは欧米に比べ少ないかもしれま せん。

様相:掻爬手術で傷ついた部分が、癒えようとする過程で瘢痕化し、子宮の壁どうしをくっつけてしまいます。この癒着は繊維質の頑固なかさぶたのようなもの です。フィルムのように薄い場合も、より分厚い塊のような場合もあります。癒着が子宮腔(子宮内部の空間)の何割を占めているか、癒着の形状はどうかなど で、ひどさの程度が判断されます。癒着は手術後比較的すぐに形成されますが、一度できてしまうと放っていても取れません。また、癒着ができたところに子宮 内膜を再生するのも、かなり大変です。

症状:主に無月経、過少月経の形で表れますが、月経量の減少に本人が気づかなくても癒着が形成されていることはままあるようです。子宮頚に重い癒着がある 場合、生理の時期に血が卵管を通って排出されるため、激痛を伴うことがありますが、日常生活は普通に送れます。基礎体温はきちんと二相性を示しますし、子 宮内膜が多少でも残っていれば妊娠は可能です。しかしこの場合、流産を繰り返すことがあります。流産後の掻爬手術で癒着がさらに重くなることも多いようで す。また妊娠が持続しても、子宮頚が弱かったり、癒着胎盤の可能性が高かったりという問題があり、適切な対応が必要になります。

診断:超音波など一般の検診ではなかなかわからないようです。子宮卵管造影(HSG)やソノヒステログラフィー(SHG)が有効な診断方法ですが、決定的なのは子宮鏡による検査と言われています。

治療:今日では子宮鏡手術で癒着を剥離するのが最も一般的な方法です。腹腔鏡(ラパロ)が併用されたり、レーザーなどが用いられたりする場合もあるようで す。かつては掻爬手術で癒着を剥離する方法が行われていましたが、これはかえって子宮を傷め、残っている子宮内膜を傷つける可能性大です。癒着の再生を防 ぐ手段として、手術後にバルーンなどが子宮に挿入されたり、定期的な子宮鏡検査で再生の有無をチェックすることがあります。またしばらくの間、子宮内膜の 再生のためにホルモン剤を服用することが多いようです。最初の手術が最も重要とされますが、手術は1回で終わるとは限らず、気長な治療が必要です。

予後:一般的にいってあまりよくありません。癒着がひどければひどいほど、また患者の年齢が高ければ高いほど、次の妊娠は難しくなります。しかし適切な治 療が受けられればもちろん可能性は上がりますから、あきらめるのも早急でしょう。なお、上述したようにアッシャーマンを抱えた妊娠には危険が伴います。必 ず医師のゴーサインを待ってから妊娠にトライするようにしましょう。(最も問われるのは子宮内膜がどれだけ再生したかです。)

アッシャーマン体験記

アッシャーマン症候群…。私にとってそれは、今まで全く聞いたことのない病名でした。

2005年6月、長女を出産してから1年以上経ち、娘が卒乳しても、私には生理がやってきませんでした。かつて月経困難症だった私は、最初のうちは「楽チ ンでいいな」くらいにしか思っていませんでしたが、時が経つにつれそれは不安に変わりました。アメリカ在住なので、加入している保険の制度に従い、最初は かかりつけ医に相談。血液検査、超音波検査で問題は見つからず、ホルモン剤(プロゲストロン)を服用して生理を人工的に起こそうとしても始まりませんでし た。婦人科医に回され、2006年12月、子宮鏡の検査によってアッシャーマン症候群(子宮腔癒着症)と診断されました。子宮頚(子宮の下部の細くなった ところ)の前後の壁が完全に癒着を起こしていたのです。

実は私は、出産したときに胎盤がうまく排出されず、子宮内に大きな塊が残されました。これについては、今でも助産婦のミスだったのではないかという不信感 が消えません。彼女が慣れたやり方が最も良いだろうと思い、陣痛促進剤の使用を勧められたとき安易に合意してしまったのも良くなかったと思います。(私の 場合、破水から始まってなかなか陣痛が進まず、助産婦としては勤務時間が長くなるのが面倒だったので早々と使用を提案したのでしょう。妊婦のためではあり ませんでした。直感的にはこれで出産に向けた体のバランスが非常に狂ったように感じます。)後産では、なかなか胎盤がはがれず、助産婦がかなり苦労して 引っ張っていたのを覚えています。でも、これは終わりではありませんでした。産後7日目に大量出血しました。病院に電話しても返事がないので、「よくある ことなんだろうか…」と黙りこくってしまったのがいけなかったと思います。とにかく初めての育児だったため、母乳もなかなか出ないし、プライオリティは自 分ではなく子供にあったのです。(あとでラクテーション・コンサルタント[母乳指導の資格を持った看護婦]に聞きましたが、胎盤が残っていると母乳はなか なか出ないそうです。)

産後10日ほどして膣から何かがぶら下がっているのに気づき、救急室に駆け込みました。私は助産婦担当の患者だったので、当直の助産婦がそれを引っ張った ところ、大きな胎盤の塊でした。彼女はもう何も残っていないから帰るようにといいました。不安になり、週明けに超音波検査を申し込みましたが、不要だとす る彼女との間で口論になりました。米国の助産師は資格的には医師の下に来る上級看護婦なのですが、後で知ったところ、彼女たちはやはり自分たちで何でもで きるということを示したいため、医師やテクニシャンの手を借りるのを必要以上に嫌がる場合が多いのです。仲間が母親の体内に胎盤を残したことを医師に知ら れるのもまずかったんでしょうし、第一、他の人が自分たちの患者に口を出す隙を作るのが嫌だったのでしょう。助産師出産を選んだとき、何かあったらすぐ医 師に回してもらえると聞いていましたが、現実は違いました。何とか超音波検査を認めさせ、翌日受けたところ、まだ子宮内に塊が残っていました。

その後いろいろな経過の後、最終的に子宮の掻爬手術を受けたのはちょうど出産から4週間目でした。この時間の遅れは後で考えると致命的でした。最初なかな か出なかった母乳は、そのときまでにはほぼ順調に出るようになっていました。産後すぐの子宮はもともと痛んでいますから、掻爬手術を受けてもダメージはそ う大きくないのです。でももう遅すぎました。そして私たちは医師を含め誰からも、アッシャーマンの可能性を提起されたことは与えられていませんでした。米 国では、残留胎盤は感染症を引き起こす可能性があるため非常に危険と見なされていて、それへの対処が何より優先されることなのです(この点、日本ではやや 違うかもしれません)。しかも、今思えば手術を行ったのはおそらく研修医だったと思われます。当日になっていきなり、医者を変えると言われましたから…。 でも、娘のところに一刻も早く帰らなければと思っていたから、ノーとは言えなかった。振り返っても仕方がありませんが、悔しい過去です。簡単な手術と聞い ていたのに、術後は大量に出血しました。

さて、1年半後、アッシャーマンの診断が下りると、私はまずネットで日本語の情報を集めようとしました。しかしほとんど何も見つかりません。今度は日本に いる医者の友人に頼んで日本語の医学論文を探そうとしました。ところがそれでもほとんど何も出てこないのです。どうやら日本では、この病気にかかったら、 基本的には子供を持つことをあきらめなければならないようです。ようやく自分が相当まずい状態にあるということに気づきました。私は大家族で育ち、それま でずっと、子供を何人も生んで楽しい家庭を築くのが当たり前と思ってきました。ところがその夢があっという間にがらがらと崩れ始めたのです。恐怖でした。 仕方ない面があるとはいえ、胎盤の問題があったとき自分がしっかりと対処できなかったことが問題を引き起こしたように思えました。悔しさのあまり、必死に 英語で情報を集めました。医学論文も読みました。他の患者さんの体験記で、最初の手術が最も重要で、これをできるだけアッシャーマンの経験豊富な専門家に やってもらうことが、完治の可能性を高める最善の方法だと知りました。

2006年1月、大きな婦人科専門病院で再度、専門スタッフと医師による超音波検査を受けましたが、やはり問題は出てきませんでした。子宮内膜は 4.3mmあるといわれました。それから医師による子宮卵管造影を受けました。これは成功すれば癒着の形状を判断する最善の方法のはずでした。しかし、画 像を得るために子宮に注入する液体を入れることができず、検査は失敗でした。

2月、居住地の近くにアッシャーマンの手術で非常に経験豊富な医師がいることがわかりました。思い切って医師を変えることにしました。帰国まで時間がなかったので、幸運なことに、特例としてすぐに対処していただけました。

まずこの医師に超音波検査をしてもらいましたが、とにかく作業の手際が尋常でなく素晴らしいのです。他の人が発見できなかった癒着の影も、彼は瞬時に見つ けてしまいました。それからすぐに子宮鏡に取り掛かりました。最初はマイクロはさみで子宮頚まで切り開き、子宮内をのぞいてみようということでしたが、私 の場合は癒着がずっと先まで続いていたため、結局そのまま切り進み、20分程度で手術がすべて完了してしまいました。彼の手はまさにマジック・ハンドでし た。瘢痕部分には通常神経も血管もないので、子宮に圧力がかかるのは感じましたが、痛みは全くなく、作業の一部始終を私はすべてスクリーンで見ていまし た。術後は25日間のホルモン投与です。癒着が再生しないよう、一週間後に再度医師を訪問することになりました(70%の可能性で再生はするそうです)

私のアッシャーマンは、「これ以上はありえないくらい重症」でした。癒着は子宮腔の100%、それも繊維質のかなり分厚いものでした。子宮内膜も、卵管か らつながる左右の穴も、どれも確認できなかったそうです。散々勉強していましたから、将来的に子供を持つのがいかに難しいか、自分でもすぐに悟りました。 奇跡でも起こらなければ次の子は無理です。娘にきょうだいを生んであげたかったな。ごめんね。おかーしゃん、がんばったんだけど。でも、自分の中ではなん だかとてもすっきりしました。もう、これが現代医学の限界でしょう。自分にできるベストを尽くしたと思ったら、恐怖と不安と怒りにさいなまれていた昨日が やっと昇華し始めたように感じました。もちろん最善の治療は続けるけれども、これからはこの現実を受け入れて、覚悟を決めて、気持ちを新たに自分のエネル ギーを他のことに注いでいくことができるような気がしています。

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Chisa: chisa@qc5.so-net.ne.jp

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